みんなの場づくり

150人の島に仕事が生まれる場をつくりたい

鹿児島県の屋久島の隣の口永良部島で、島に仕事を創る「ひょうたんじまプロジェクト」に取り組みながら、島への移住と住民の交流を推進している、山地さんからの投稿をご紹介します(山地さんは、ばづくーるラボにもご参画いただいています!)


 

◎地域づくりにはどんな思いで取り組んでいるのですか?

私にとっての地域とは、鹿児島の小さな島々であり、私が考える地域づくりとは、地域の人間を育て、地域の自然を守ることです。私は、人は自然に生きて人となり、人として生きてこそ自然であると考えていて、いつも自然と共に人間らしく生きることを大切にしています。

「島に仕事がないので、子どもが帰ってこない。」という島人の言葉を聞いてから、約7年が経過しますが、今は「島に活気があれば、子どもは帰って来る。」と思っています。
「地方に元気がない。」と一般的には言われますが、私は「地方に元気がある。」と考えていてます。それは、都会と比べて「元気な人が(相対的に)多い。」という意味ですが、「島に(絶対的な) 活気がない。」とも感じています。

◎現在はどんな取り組みをしていますか?

島というチームは、良い選手がいても人数が少ないので試合に勝つことができない。だから、スポンサーもサポーターも少ないとも言えると思います。でも、それはあくまで現在の社会の規則や地域の慣習、そこに暮らす人たちの今の感覚にしか過ぎないと思います。

私は、島のオーナーでも監督でもないですが、少ない人数でも試合に勝つことができるよう、チームの一員として島に仕事をつくる活動をしています。今、島に住んでいる人の多くは、仕事があります。逆に言えば、仕事がある人しか、島に住むことが難しい。だから私は、島には住んでいないけど、島に暮らしたい人の仕事をつくろうとしています。

現在、仕事旅行社で離島で働く旅を募集していますので、ぜひよろしくお願いします。
http://www.shigoto-ryokou.com/detail/97

◎活動を進めるにあたって、どんなところにこだわり、工夫していますか?

島に仕事ができて、島に住む人が増えて、島の自然や文化を後世に伝えていくことが大切だと考えています。そのためには、島に住んでいる人たちの理解や協力が不可欠です。私は、これまで島人の考え方や行動を尊重してきました。島の歴史や文化への敬意を忘れたことは、一度もありません。

一方で、誰に何を言われても島人に反対されても、自分が正しいと信じた道だけを進んできました。もちろん、そのことでたくさんの困難や批判があります。でも結局のところは、何を言ってもどんな考え方であっても、行動しないことには何も伝わらないと思っています。だから、とにかく自分が決めたことには責任を持って、常に新しいことに挑戦していく姿勢だけは失わないように心がけています。

◎山地さんのこれまでのプロフィールをお聞かせください!

2007年9月に私は、鹿児島県の屋久島の隣にある約150人が暮らす口永良部島に移住しました。それから基本的には、湯向という天然温泉のある約10人が住む集落で生活し、広大な牧場で肉用牛を飼う仕事をしています。

私は、1979年6月に大阪府の堺市に生まれ、生後間もなくからずっと奈良県桜井市で育ちました。神戸の大学を卒業し、就職して間もなく東京でサラリーマン、退職してから、大阪でフリーターをしていました。2003年12月に母親が49歳で亡くなり、それからは父親と共に仕事をするようになりました。大企業で働きながら電力会社やガス会社との交渉、地方にある大手工場や行政機関への営業、中央官庁や政府系金融機関との打合せなど、やりがいのある仕事でしたが、どこか満足できない自分がいました。

※山地さんの経歴はこちらからもご覧いただけます
http://kuchierabu.jp/project/post_2.html

「自然と共に人間らしく生きる」
そんなことを考え始めたきっかけは、カンボジアへの旅行でした。そこで出会った若者の生きる姿勢や子供たちの目の輝きが忘れられなくて、日本に戻ってきてから私の生活が変わりました。

そして、鹿児島で行われた友人の結婚式に出て、仕事の休暇をとって種子島と屋久島を訪れ、そこで偶然知った口永良部島を民宿の女将が紹介してくれたことがきっかけで「ヨットマン」と出会ってから私の人生が変わりました。
https://www.youtube.com/watch?v=jE3t7YCcxGE

口永良部島と出会ってからの自分
口永良部島に移住した当初は、ヨットマンの仕事である漁業と畜産業及び民宿業を手伝いながら、給料はもらわずに住み込みで生活をしていました。
サラリーマン家庭の住宅地で育った私には、全てが新鮮で新しい挑戦でした。半年後に自分で家を借りて住民票を島に移し、口永良部島に仕事を創る 「ひょうたんじまプロジェクト」として、畜産の勉強や実習をしながら、学生のインターン(職業体験)を受け入れる活動を2007年4月から始めることになりました。
http://kuchierabu.jp/project/post.html


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◎山地さんの現在の取り組みご紹介

◆口永良部島ひょうたんじまプロジェクト
「島に仕事がないから、子供たちは帰ってこない。」と言う島で暮らす人。
「子供のことを考えれば、島に住むことができない。」と言う移住した人。
そんな島の人たちの言葉の本当の意味を確かめたいという一心で始めました。

「仕事があれば、子供たちが帰ってきて、移住者が住み続けられるのか。」
「この島で仕事を創るため、自分にできることは何なのか。」
それらの結論は、島で牛を飼うことと島で会社を設立することでした。
http://kuchierabu.jp/idea/199219.html

◆一般社団法人へきんこの会
初年度は、国土交通省の「離島の活力再生支援事業」を受託し、全国から大学生を集めて口永良部島での合宿を行い、次年度以降も国土交通省や鹿児島県などの業務を受託しながら、3年ほど移住や交流に関する事業を行いました。

◆口永良部島未来創造協議会
2011年10月にへきんこの会の事業として、島の若者有志5名で協議会を立ち上げました。当初は、「移住者の受け入れ」を行うための組織でしたが、2012年4月からは口永良部島の移住と交流を推進するため、独立しました。会長は、島生まれ島育ち。副会長は、島外生まれ島育ちで両親がIターン者。私は、事務局長として実務を担いながら、会長と副会長などと喧々諤々、「人々の営みが豊かに続く島を創造する」ための活動を行ってきました。

 

山地さんありがとうございました!

ばづくーるラボでは、各地で場づくりやコミュニティ運営に取り組む方たちが参画いただき、交流しています。ぜひ一緒につくっていきましょう

ばづくーるラボ

 

About the author

山地 竜馬(鹿児島・口永良部島)

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