みんなの場づくり

調剤薬局から地域に広がる「場づくり」 ~ 患者さんとの交流を広げるために

初めまして。吉江福子と申します。調剤薬局から広がった私の「場づくり」を紹介させて頂きます。最近新しい言葉のように「在宅医療」という言葉を聞きますが、僻地医療で一生を終えた父と往診に行った頃を思い出す私にとって、「在宅医療」は子供の頃の思い出です。当時は包帯を消毒してまた使うために看護婦と包帯を巻いたりする手伝いをしていました。そして、小さな投薬の窓口から薬を渡し「お大事に」だけ。今では考えられないような医療の中で育ちました。
私の人生は生まれた時から医療ばかり見ていたように思います。

勤務医であった夫が急逝し、平成元年から薬剤師の仕事を始め、薬剤師として勤務する傍らレストランの認可を受けるまでになった事は、「場づくり」の時代を感じての事です。

 

◆薬局で感じた患者さんの課題からレストランを開業◆

ここ数年調剤薬局では認知症やがんの患者さんが増え、薬以外の相談事が増えて来ました。独居、介護疲れ、将来への不安、摂食障害等々の悩みも沢山出て来ました。

患者さんとの会話は調剤薬局の服薬指導の時間内では不十分で、もっと地元の人達との交流が必要です。地域の中で医療職の方も参加し「ちょっとコーヒータイムを作って語らう場も必要」と実感しています。そして毎日100名以上の患者さんとお話ししているうちに、元気な頃から目標をもって集まり、病になっても同じように通える「場づくり」を考えるようになりました。

患者さんとの会話の中で「食べる」ことへの問題が多くなるにつれて、「美味しく食べる場づくり」を私の27年間の薬剤師の仕事を通しての集大成にしたいと思い、飲食業の認可を受け「カシミール&ジャパニーズレストランSAHARA」を設立しました。SAHARAはパキスタンの言葉で「支え合う」の意味があるそうです。私の自宅はそれまでも人の集まる場所でしたが、「個人の家」という印象があるのでいらして下さる方が遠慮するようでしたので、みなさんが集まり易くするには正式な認可があった方が良いと考えたからです。

中央アジア料理をメインにしたのは、一昨年たまたま出会ったパキスタン人の患者さんから中央アジアの音楽や映画を紹介され、興味を持ち、交流を深める中で日本人が失いつつある「家族愛」を思い出し、その人達の作るカレーの美味しさに惹かれ、彼らの生活や文化に興味を抱くようになったからです。小さいですがお料理教室も出来るようにしました。群馬産のじゃがいもと玉ねぎを使用した天ぷらの「ポコレ」はお薦めです。またジャパニーズは、私が京都で乳がんのオペを受けてから京都の「おばんざい」に興味をもって命名しました。

部屋作りでは昨年の10月「SAHARA」が新聞記事になったことがきっかけで、シルクの壁紙を考案した武井社長の協力で12月には群馬産シルクの壁紙と襖の部屋が出来ました。「絹と金の部屋」での食事は、少し贅沢な気持ちと癒し感があります。この壁紙を使った部屋は、まだ日本で唯一つです。

例えばそこから発信できるものを考えました。群馬は絹産業の歴史があり、「群馬観光客おもてなし研究会」を作り、群馬産の絹と金の部屋でお客様をお迎え出来たらと思います。

このようにテーマをもった人が集まるレストランを考えました。

 

◆患者さんや地域の人達の交流の場を広げる◆

ソフト面で現在始まっているのは、第二木曜日「楫取素彦がん哲学外来カフェ」、第二日曜日「みんくるカフェin前橋」、「新老人の会会員交流会」等です。食事・セミナー等は希望に応じています。夜のカラオケタイムは基本として毎日応需しています。収益はセミナー、がん活動に充てていきます。

もともと自宅はいくつかの活動の場となっていて、人々が集まる機会は多くあり、がん活動、模擬患者研修会、食事会、カラオケ音楽療法研究等々課題をもった交流を長く、深めてきました。その経験を踏まえて、いくつかのテーマを掲げ、それに賛同して下さる方にメンバーになって頂く、メンバー制のレストランとしています。

仕事を始めた頃に勉強の窓口を東京に求め、「人の心をまず考える薬剤師になりたい」と勉強の場を求めて上京し、平成3年「心理相談員」の講習会に参加したのが今の私の活動の原点になりました。薬剤師の仕事から在宅医療に興味を持ち、平成8年ディサービスセンターの施設長を引き受けた時には、「音楽療法」に夢中になり、その環境つくりを考えたりもしました。その好奇心が次第に広がり、県の「環境審議会」「食品安全県民会議」等々の委員をさせて頂き「官民協働」の意義も知りました。

その後も私の知りたいことは増え続け、上京は今までも続きます。エンパブリック様、孫先生との出会いから「みんくるカフェin前橋」の立ち上げになりました。

 

◆新老人の会群馬支部として◆

「新老人の会会員交流会」は、聖路加国際病院名誉院長日野原重明先生が設立した「新老人の会」の群馬支部事務局としての活動です。この活動との出会いは、音楽療法に興味をもった時、聖路加国際病院名誉院長日野原重明先生が音楽療法の啓発に力を入れ、学会を立ち上げた頃でしたが、日野原先生がその後「新老人の会」を設立し、会長として全国に支部を拡大されたのに共感したからです。

群馬支部事務局は私の家にあり、支部活動としてまず「社会貢献」「医療貢献」を検討し、最初に「模擬患者活動」を目標にしました。そして「がん活動」です。社会貢献では、世界遺産の富岡製糸工場応援を検討しています。今、「二人に一人ががんになる」と言われています。かつて日本医療政策機構さんが開催する「がん政策サミット」に参加し、全国のがん患者さんと交流が出来ました。「がん対策知識と行動へ効果的なプログラムのためのWHOガイド政策とアドボカシー」は今も参考にしています。これからは、がん患者さんのための「場づくり」も必要です。それだけでなく、「認知症問題」にも取り組まねばと思います。

ソフト、ハード面での準備が整い、これから各方面にご案内する準備をしているところです。

薬局の仕事の合間なのでなかなか自由に動くわけにはいきませんが、変わったレストランに賛同して下さる方に期待しているところです。

これからも薬剤師として仕事を続けつつの活動で、今、「場づくり」のスタートラインに立ったところです。今日までの沢山の上京は私の学びの層を作り、結果「場づくり」に必要なソフト面としてのいくつもの柱になっているように思います。今考えているテーマとして、上記のほか「地域創生研究会」、「群馬SP研究会」、「黄色いピアノ世話人会」、「21世紀シルクロード研究会」、「寄付文化研究会」、「地産地縁研究会」等々です。SP研究では患者様にも医療コミュ二ケーションの大事なことを知って欲しいと思い寸劇の練習をしています。そして自分の人生に重ねて、「母子家庭」の応援もしていきたいと思っています。

これからは、上京することから「ご来県頂ける場づくり」になりたいと思っています。

それは自身の老後の「生きがいづくりの場」への挑戦、そして薬剤師の地位向上のための活動かも知れません。

About the author

吉江 福子(群馬・前橋市)

1950年 内科医の長女として生まれる
1973年 昭和大学薬学部卒業、昭和大学産婦人科研究室勤務
1974年 群馬大学医学部第一内科第一研究室勤務
1975年 内科医と結婚家庭に入る
1989年 上武呼吸器科内科病院、渋川関口病院、榛名荘病院、上之原病院等の薬局勤務
1993年 調剤薬局いるか薬局勤務
1996年 北橘村デイサービスセンター施設長、社会福祉法人橘風会理事、群馬音楽療法研究会事務局長、群馬県環境審議会委員、群馬県食品安全県民会議委員、群馬県自治ネット県央メンバー、財団法人「榛名荘」評議員、JAヘルパー2級、3級養成講座講師、さくらカルチャーセンター福祉用具専門相談員養成講座講師、グループホーム評価調査員等々を歴任
2005年 いるか薬局勤務に戻る。群馬音楽療法研究会事務局長、(財)ライフ・プランニングセンター「新老人の会」群馬支部事務局長、「京都がん医療を考える会」理事、財団法人「榛名荘」評議員、日本病院薬剤師会会員、日本薬剤会会員、日本腫瘍学会会員、日本サイコオンコロジー学会会員、日本ファーマシューティカルコミュニケーション学会主催の模擬患者ワークショップ参加
2010年 第48回日本癌治療学会学術集会「がん患者・支援者スカラーシップ」に参加
2011年 特定非営利活動法人 日本医療政策機構・市民医療協議会「がん政策サミット2011」に参加、上毛新聞社「オピニオン21」出筆、第49回日本癌治療学会「がん患者・支援スカラーシップ」参加
2012年 がん哲学外来コーディネーター養成講座修了
2013年 日本プライマリ・ケア連合学会日本医学教育学会入会

主な講演
JA中央会「おとしよりの気持ち」、JA前橋つくし会「デイサービスセンターで働いて感じたこと」、世田谷薬剤師会、群馬県婦人薬剤師会「福祉施設の投薬状況について」、国際交流ジャイスの会、群馬県女性歯科医師会、前橋ライオンズクラブ「介護保険と音楽療法について、群馬県薬務科かかりつけ薬局推進事業「福祉施設の投薬について」、群馬県市町村職員共済組合「認知症にならないために、渋川女子高校同窓会「発想の転換から学んだこと」他

主な共著
窓(明窓出版社) 「薬から始まった音楽療法」
チャレンジ音楽療法士(音楽の友社) 「薬剤師・介護支援専門員から音楽療法士にお願いしたいこと」
いきいき音楽療法の仕事場(あおぞら音楽社) 「福祉施設について」その他

前橋市在住