みんなの場づくり

火をつける人になる ~暮らしを変えるきっかけと失敗の場の提供

こんにちは。私は現在、明石市の海まで2分、駅まで8分の環境で、小さな循環型の暮らしを目指して暮らしています。薪でご飯と風呂を炊き、コンポストトイレの肥を毎日庭の畑に撒いています。ニワトリも4羽飼いはじめました。

3,11までは、街中の長屋に住み、安くてうまい酒を飲むことだけを考えていました。食品加工はそのころからやっていましたが、それは安全よりも、安くてうまいものを食べるためにやっていました。
3,11以降は、子どもを守り生きていくためには、もっと根本から自立していく必要があると思い始めました。食べ物を生産するためにも、いのちの循環の輪をまわすためにも、土のある暮らしをしたくなりました。そこで、運転免許のないわたしたちが動けるところで、広めの庭のある今の家に移住しました。

3,11以降、食の安全、循環型の暮らしについて考える人は増えました。でも、理屈はわかる、理想はそうだ、でも自分はできない、と一歩踏み出せない人がまだまだ多いと感じます。そんな方にまずやってみよう、と思ってもらうきっかけ作りがしたいです。失敗もみんなですれば楽しい思い出の一こまになります。
そして、やる気にさえなれば、あとは調べれば知識はいくらでも公開されています。

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にわとり

下手でもいいから自分で作ってみる「自給力」をつけることはもちろん大事です。
しかしそのまえに、「恵みをいただく」という発想に立ち返ること、「自分」の範囲、自分に関係があると思える範囲を広げて考えられるようになること、日々の習慣にしていけることことがもっと大事だと思うのです。これはいますぐ田舎に移住して農的な暮らしを始められない人にもできる転換だと思います。

食べ物は本来、天からの恵みです。でも今は、レストランで注文するように、食べたい食材が自分のために用意されているという意識ではないでしょうか。人間中心なのです。
いくら農業をやる人が自然なものを作ろうとしても、食べる人の意識が自然に寄り添う発想に戻らないとかみ合いません。食べる側が、できた作物をなんでもまるごといただける能力を取り戻す必要があります。

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かまどで炊く

また、毎日の家事は面倒くさいもの、と思う方が多いでしょう。でも、今は半世紀前に比べればうんと楽なはずです。私は、簡単に、だれがやっても同じようにできるからこそ、やってもおもしろくないのではないか、と日々かまどでご飯を炊きながら思ったのです。
かまどのご飯は毎日炊いても、仕上がりが違います。私はまだ2年の腕前なので、ばっちりおいしく炊けるのは月に数回です。うまくいった日は「うまいやろ!」と押し売りです。このように私だけの工夫、勘、腕が発揮できるからこそ、一見毎日同じこと仕事でも楽しんでできるのです。毎日が新しい実験なのです。ただの繰り返しではないのです。

今はなんでも消費社会です。買って捨てて、自分に届く前、捨てた後のことはブラックボックスで考えなくてもいいのです。自分から離れたものは意識から消えて(消して)しまいます。だから、私も含めて現代の若い人は「自分」と感じる範囲が狭いと感じます。自分の家の中だけ、自分の子だけを見ているのではないでしょうか。
わが家はコンポストトイレといって、排泄したものを家の前の畑に返しています。出したものはまた、口に入ります。行く先を考えずにはおれません。口に入れる前に、家に持ち込む前に行く先を考えるのです。どこで採れたもの?何が入ってる?だれが作ってる?どんなところで?
考えないこと、想像力の欠如は環境悪化だけではなく、貧困、差別問題にもかかわる根源だと思うのです。

現代は、食べ物でも服でも出来上がったものを買ってくるのが当たり前の時代です。だからものづくり、というと既製品、売り物のようなできばえをはじめから想像してしまい尻込みしてしまうのでしょう。日常茶飯事、家事は売り物ではないのです。もっと気軽に実験を楽しんでほしいです。

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浅野さんのとうがん

今、私が提供しようとしていることは、

  • 素材発想の献立作りワークショップ
  • かまどで飯炊きワークショップ
  • めんどくさい、が自分の味(コーヒー焙煎、うどん打ち、納豆作り)ワークショップ
  • 「小さな循環生活で考えたこと」のお話
  • 「食の遺伝子」発掘ワークショップ

また、それ以外の経験からは

  • 軽度障害者として考えてきたこと、のお話
  • からだの力の抜き方ワークショップ

をしたことがあります。

考えて、やってみて、失敗して、笑って。
そこから変わるきっかけになれたらと思います。

About the author

浅野 ゆり(兵庫・明石)

1974年生まれ。鍼灸マッサージ師。
 あんまさん三代目、一族で10人目。学生時代は「軽度障害ネットワーク」というセルフヘルプグループ、阪神大震災ボランティア「すたあと長田」で活動。訪問マッサージの仕事を通して重度障害者の自立生活運動に出会い刺激を受ける。

 自給生活へのあこがれは、農家だった小学校時代の同級生と高校時代に大阪うつぼ公園で見た、かんてきを囲むホームレスの食事が原点。
 3,11以降、日本国から独立して生きていくためには土が必要、と尼崎の長屋から明石に移住。いまは都市近郊で薪暮らし、コンポストトイレ利用での小さな循環型のくらしを始めている。